東長寺は、文禄三年(1594年)、熊谷の東竹院第四世、雪庭春積和尚により開創されました。雪庭和尚は東長寺の他に、勝興寺、福寿院を開創し、徳川家康の帰依を受けていました。
東長寺の開基は、土肥家二代目当主土肥孫兵衛であると伝えられています。慶長七年、拝領地である約2300坪の土地を東長寺境内地としました。
江戸時代の全般を通じ、禅僧について参禅(学問)することは、武士たちにとって教養の基盤であり、東長寺は諸藩士の菩提寺、また学問寺としての性格を強めていきました。寛永年間には本堂、元禄年間には鐘楼堂、総門、中門などが建立され、東長寺も興隆しました。
明治元年、火災に遭い、すべての堂宇を焼失し、一時は極度に荒廃しました。その復興後、再び第二次大戦の東京大空襲で堂宇を失ってしまいました。以後、先々代住職と檀信徒の努力により本堂、書院、庫裡と、順次再建されてきました。
現在の伽藍は、開創四百年記念事業として平成元年に建立したものです。ついで平成八年、縁の会を発足し、生前個人墓事業を立ち上げました。


東長寺の宗派は曹洞宗といい、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を御本尊としています。
福井の永平寺、鶴見の總持寺が両大本山で、修行と信仰の中心においています。お釈迦様の教えを日本に伝えた道元禅師が永平寺を開かれました。一方の總持寺は、道元禅師の教えをさらに広めた瑩山禅師が開かれました。
曹洞宗は、一般に「禅宗」と言われるように、坐禅修行をします。坐禅とは迷いの中にある自分を見出し、生死をも超えた真の安らぎをうるものです。曹洞宗の宗典「修証義」に示された信仰生活とは、世の中と自分の真実に目覚め、今ある自分を懺悔することから始まります。心からの懺悔は、必然的にお釈迦様への信仰心を高めます。
信仰を言葉に表すお唱え言は、お釈迦様の聖号「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」と、お釈迦様に帰依する「南無帰依仏」、その教えに対する「南無帰依法」、教えを代々伝えてきた僧に対する「南無帰依僧」の三宝(さんぽう)をお唱えします。











